So-net無料ブログ作成
検索選択
ちょっとまじめな話 ブログトップ
前の30件 | -

2014年元旦 [ちょっとまじめな話]

あっという間に2013年は終わり、今日から2014年に。
去年のブログ初めを振り返ると、そうだった、引越作業の真っ只中だった。
振り返ると2013年は公私ともに割と安定した年だったように思う。
仕事では引き続き新しいプロジェクトへの取り組みが続いたが、それでもその前の2年間に培った経験や人間関係のおかげで何とか進めてこれた。
プライベートでも、一昨年と違って夏休みも少しは家族で過ごす時間も取れたし、家族全員無事健康に過ごすことが出来た。

さて、2014年。

年男でもある今年は、少なくとも仕事面では大きな変化がある。
先日のエントリーでも書いたとおり、本日付で新しい職務に就いたからだ。
異動が決まってから、この年末年始の休みをどのように過ごすべきか考えてきたが、2013年の年末の間は出来るだけ家族と過ごし、年が明けてからは新しい仕事の準備に当てることにした。

その境目に当たる元旦の今日は、年明けすぐの真夜中に浅草寺にお参りに。

DSC_0100.jpg

毎年浅草寺に行くことにしていたが、ちび太はパパと真夜中まで起きていられるこのイベントが楽しくてたまらない様子で、今年も何とか12時前まで寝ずに我慢して、テンションMAXでの初詣となった。
ただ、あまりの混雑で浅草寺は横から眺めてお祈りするだけ。

DSC_0099.jpg

その後マグロ好きのちび太のたっての願いで、浅草のすしざんまいで寿司を数貫つまんで帰った。
正月祝いの本マグロのカマトロは旨かったなぁ。

そして今日元旦は、まずは仕事に取りかかる前の整理としてちょうど昨年末読み終えて読後感をまとめていなかった本の整理から始めることに。
ちょうどドラッカーのマネジメントがあったので、書き初めならぬドラッカーの金言清書初めということで、言葉の意味をかみしめながら意思決定、組織論、管理手法、経営科学といったビジネスのファンダメンタルズについて部屋に籠もって考えてみた。

年明け早々から新しくチャレンジする仕事では、まさにこういったファンダメンタルズの再構築を行うことが急務だと感じている。
正直なところ、自分も周りも気にしないと表面上は言っているが、職務に比して35歳という若さ(もうそんなに若くないのだが)で本当に組織の基盤と文化を改革して、かつ、会社が求めるスピードで成果に繋げていけるかどうかは、不安な部分も多い。
だからこそ、スタートラインに断ったときにはやるべき準備はやり尽くして、どこまでプロアクティブに動けるかが鍵になると考えている。
そのためにも、この正月休みの過ごし方は重要だ。

そして、もう一つ行ったのが、とある本の購入。余談だが、書籍としては初の電子書籍の購入となった。
何かというと、福翁自伝と学問のすすめ。
自分の大学の創設者ながらこれまで機会は山ほどあったのにちゃんと読んだことのなかった福澤先生の著書を改めてしっかりと読みたいと思う。
時代背景も平均余命も全く違うが、当時の明治維新を生き抜いた志士達は自分の年の頃には既に大業を成し遂げていたわけで、それを思うと改めて自らの至らなさに恥ずかしい思いがする。

そしてもう一つ、ちょっと楽しみなことが。
それは新調したスーツを着ること。
いつもお願いしている銀座のとあるテーラーで相談しながら購入したのは、グレーの2着。
これまでネイビー中心のワードローブだったのだが、2014年度はグレーの着こなしを増やしていきたい。

ちょうどパリ駐在時代に購入したまま履く機会を探していたCrockett&Jonesの2足もこれを機にデビューさせるつもり。

DSC00509.JPG

シャツも今回数着新たに誂えたが・・・シャツの誂えって難しい。
何というか、ちょうど良い価格と質感のバランスがよく分からないのだ。
基本的にビジネスファッションの中では最も使い捨ての要素が強いアイテムなだけに、高級感よりもフィッティング重視で行きたいのだが、生地を選んで出来上がったものは思ったよりもドレッシーすぎたり、カジュアルすぎたりと、なかなか満足いくオーダーができない。
あと、今年はネクタイにも少しこだわって見たいが・・・。

プライベートでも今年はちび子が幼稚園を卒業して小学校に入ったりと、こちらも変革の年になりそう。

今年の年末を充実感を以て過ごせるように、健康に気をつけながら全力で挑戦していきたい。

皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

卒園式 [ちょっとまじめな話]

今週末は飛び石連休になった月曜日に久しぶりの有休を取って、4連休にした。
というのも、その3月19日の月曜日にちび太の卒園式があったから。

DSC07866.JPG

フランスから帰国したのが2010年9月末だったので、この幼稚園には約1年半通ったことになるが、私学ながら通わせて良かったと今振り返っても思う。
一番の理由は、園長先生(女性)が子育てに真剣であるということ。
難点としては話が長いのだが(笑)、今時クラスの父兄を目の前にして説教する私立幼稚園の園長などそうはいないだろう。
例えばちび子の通う年少組は確かに端から見ても年齢よりもさらに赤ちゃんっぽい子が多いが、それについても指摘した上で「幼稚園で鍛え直す」と一刀両断。
先日の劇発表会でも、自分の子供の番が終わった途端年長さんの劇を見ずに会場を去ろうとするお母さん方を呼び止め、「自分さえ良ければそれで良いという気持ちが、他人への無関心へと繋がり、子供のコミュニケーション能力にも影響を与えるんです!」的なことを真正面から言う。
曰く、「自分でやろう」と自立の精神を根付かせるのが幼稚園、「お手伝いしてあげる」と親の代わりに保育してあげるのが保育園であり、幼稚園で学んだ子供はより大人に近づいて(・・・というのもなんだが 笑)、小学校へ入学するんだという自負がある。
実際に文部科学省が監督官庁で学校教育法に基づく幼稚園と、厚生労働省が監督官庁で児童福祉法に基づく保育園は、その通りの制度的な違いはあるけど。先生の必要免許も違うし。
ただ、この園長先生の強い理念というか信念を見ると、幼保一元化を進めるのであれば保育園を幼稚園に会わせる方法で進めて欲しいと思う物だ。

そしてこの園長先生、ビジネスマン的な視点で見てもう一つすごいのは、比喩的に言うならば、園児という製品を地区の小学校に供給するサプライヤーの立場にありながら、その製品の高さで買い手側のサポート・サービスを自然と引き出そうとしている点だ。

例えば、運動会や音楽会には必ず区議会議員の先生方や周囲の学区の校長先生を来賓として招き、その場のスピーチややりとりをマイクを握って完全に仕切る。
親から見ていると、区の教育方針において最も大事なスタート地点を責任を持って担当している園長先生が、その方針の確かさを制度に責任を持つ区議会議員の言質を取りながら、さらに次のステップとして引き受けることとなる複数の小学校の校長がどのようにバトンタッチしていくかを見て品定めできるという機会が、毎年複数回ある訳だ。
実際に評判の良い小学校は校長先生もしっかりしているし、ここ数年で成績が落ちている小学校は層ではないと感じることが多い。
学校教育という特殊なエリアにおいても、組織はトップの器以上にはなれないというのは当てはまるのかもしれない(by 野村の教え)。

そんな超個性的な園長先生のコントロールの行き届いた(笑)幼稚園でしっかりと学んだちび太は、少しずつしっかりとたくましく成長しているように思う。
子供の成長に合わせて、親も成長せねば。

同志 [ちょっとまじめな話]

今週は木・金と全国行脚での説明会が詰まっていためいつも以上にバタバタした一週間だったが、これを乗り切れたのも一重に水曜日の夜の同志との飲み会があったから。
定期的に(とは言えそれぞれが各社のキーパーソンとなっているためせいぜい集まれても四半期に一度という幹事だが)開催している同業他社の同志の集まりがそれ。
通常この業界にいると同業他社とノミニケーションをする場合は、まあそれとなく各社の現状を聞いたりするわけだが、いつの間にかこのメンバーではそんな話は超越して、実際今回もそんなショーモナイ(いや、それはそれでむちゃくちゃ大事なのだが)話はさておき、気づけば歴史観、人生観、仕事への取り組み姿勢、個社を超えて業界を活性化させるかと、そんな人生のモチベーションをアゲ合う展開に。
とは言っても、外から見たらうちらのテーブルの雰囲気や実際の言葉尻は全然高尚じゃ無いけど(笑)

このメンバー(+今回これなかった何人か)と飲むたびに改めて感じさせられるのは、旨く言えないけど、自分の人生へのハンズオン度合い。
何というか、日々の業務をこなすことで思考停止になってないとでもいう感じ。
たまたま僕は去年までフランスにいて、正直プライベートな時間が日本よりは潤沢に作れたので仕事以外のことを考えて過ごす時間も多かったのだが、日本のこの労働環境にいながらあれほど高い次元で仕事以外の自己実現欲にあふれた面子はマズローもびっくりだろう。

なんだか来週からの夏休み前に日曜の昼からワイン開けながら書いているので多少美化しすぎなところもあると思うけど(・・・飲み会の中だとめんどくさい感じの立ち位置になるけど、一人のみだとこれがアルコールの良いところでもある 笑)、たまにはあんな充電タイムがあるべきやね。

そんなモチベーションが上がりきったところで、わざわざ台風が直撃しそうな沖縄に旅立ってきます!

父の日参観 [ちょっとまじめな話]

今日は朝からちび太とちび子の幼稚園で父の日参観。
二人を連れて午前中いっぱい幼稚園で(場所自体は近場の小学校へ移動したけど)一緒にお遊戯や運動をするという催し物。
うちはちび太が年長組でちび子が年少組なのだが、そもそも去年帰国してから転入した幼稚園なので、父の日イベントに参加するのはこれが初めて。

改めて思ったが、年少2組、年中2組、年長1組の園児をまとめる先生方の大変さには頭が下がる。
さすがに5~6歳の年長組は比較的手が掛からないけど、年中、そして年少組はもうカオス(笑)

そんな先生方の献身的なサポートのおかげで、走っておどって疲れたけれど、楽しい半日だった。
イベントの最後は体育館に移動して全員でお父さんにカスタネット、ピアニカでの演奏、そして一人一人が作ったプレゼントの手渡しと、予想された展開だけに感動して涙することはなかったが、ほのぼのしたうれしさを感じたなあ。

さらに予想通り、ちび太の絵のプレゼントは恐竜が主役!

DSC05864.JPG

以前ロンドンで行った恐竜博物館(国立自然史博物館)の思い出の絵らしい。

その後今日は午後から夜のお風呂まで、パパモードになった二人に引っ張りだこ。
久しぶりにどっぷりとチビ達と過ごしたが、やっぱり子供可愛い

パパと遊び倒したせいか、チビ子は最後はテレビを見ながらリビングの床で寝てしまった。
チビコンビからの「パパかいしゃありがとう」「まいにちおかねをかせいでくれてありがとう」のリアルな応援(?)メッセージとプレゼントとともに。

DSC05858.JPG

パパひげ生やしてないけどね(笑)

少年老いやすく・・・ [ちょっとまじめな話]

今月から高校時代の同級生が続々と子持ちになる。
まずはその第一弾として裁判官夫婦に娘が誕生。
早速別の同級生の車でお祝いを兼ねて行ってみたが、やっぱり生まれたての赤ちゃんは信じられないくらい小さくて、何とも言えないかわいさがある。
思わずちび太とちび子が生まれた時を思い出した。
でも、子供はかわいいけど最初の子が生まれた後半年くらいは両親共に、特に母親は大変なんだよなあ。
既にちび太とちび子が5歳と3歳になってしまった今となっては、懐かしくもありもう一回体験してみてもいいかなと思ったり・・・でも3人となると大変だしなあ。

高校時代の仲間は中高一貫の学校だったので=中学時代からの仲間となる。
もちろん全員中1から知り合いだったわけではないが、男子校で青春時代の6年間を共にしたメンバーというのは久しぶりに集まっても当時を思い出して話も盛り上がる。

関西から東京に出てきた当時は、毎月第一木曜日に"イチモク会"と称して集まっていたのだが、それぞれ社会人になって全国に散らばってからは、自然消滅してしまっていた。
それがパリから帰国したのをきっかけに、また何となく集まるようになって、最近はゆる~い感じで集まっては飲んで食ってしている。
どこにでもいる中高生だった面々が、裁判官やらキャリア官僚やら建築士やらになっているのは時の流れを感じるが、集まってみると高校時代のままの雰囲気でしょーもないことを話し合えるのは楽しい。

会の趣旨としては順番に感じを持ち回りして、ちょっとだけ豪華でもいいのでうまい店を紹介するというものだが、先日行ったスペイン料理屋はおいしかった。
まあ、その会の幹事は本人も行ったことない店を食べログで見つけただけだったのが・・・でも、やっぱり「食べログは裏切らない」を再確認できたな。

P2011_0515_184506.JPG

P2011_0515_192509.JPG

P2011_0515_210747.JPG

暗い店内で携帯についてるカメラで撮影したのをライティング補正したのでなんだかちょっとホラーな見栄えになってるが、このワイン(特に最後に飲んだリオハ!)はうまかった。

さて、次回の幹事はどこのお店を紹介してくれることやら。
そして、その時はまともに食べられる歯になってるのか!?

東日本大震災 [ちょっとまじめな話]

阪神大震災も京都にいて直接的な被害はなかったものの、地震の揺れやその後の地域の混乱にも遭遇したのだが、今回のはその規模・深刻さともにちょっとケタが違う。
すでに3月11日の地震発生から2週間が経ち、東京では徐々に日常生活に戻りつつあるが、実際的にも輪番停電なども続いているし、何より気持ちがイマイチ乗ってこない。

被災された地域の人々や実際にそこで困難に直面している友人達のことを思うといたたまれない気持ちになるし、そして今後地震から立ち直っていく上で大きくのしかかってくる風評被害、日本の安全神話の崩壊を目の当たりにしているというショックも大きい。

震災から2週間、のべ数十人の海外の同僚や友人達がメールをしてくれたが、すべての国で福島原発の件がトップニュースで流れているらしい。
実際にUstreamなどでBBCやCNNを見るとそうだし、報道のトーンや映像も日本国内で流れるものよりもよりセンセーショナルなものが多い。

海外で過ごして日本の安全性、食文化、品質の高さなどを改めて感じ入り、今後そういったものを日本から海外に発信したいと思い帰国してきただけに、将来への希望を断たれたような気がして、正直喪失感を感じざるを得ない。

一方で、そんなことよりも被災地に対して自分ができることがないかを考え行動することが大切なわけだが、地震発生後から社内でも被災地へのサポートチームとして派遣してほしいと担当役員に直訴しているのだが、なかなか受け入れられない。
いったんは家族を京都の実家に帰して、いつでも行ける状況を整えていたのだが、未だGoの指示は出ず。
もちろん営業チャネルということもあって提携先金融機関や顧客対応を含めた業務はエンドレスに降ってはわいてくるのだが、営業企画という立場上他の社内部門が機能不全に陥っている間は行こうと思えば不可能ではない。
ネットとPCがあれば現地でも仕事はできるわけだし。

できれば数日ではなくITインフラ・通信系のスキルも生かして(?)、現地の営業所の復興など、中長期的に行きたいのだが、うちのチャネルには東北に営業所がないためチャネルまたぎとなってしまい、これがまた外資系ではなかなか超え辛い壁となってしまっている。

言葉や、節電・募金と行った間接的な支援だけではなく、何か実際に役に立てればと思うのだが、何とももどかしさを感じる日々が続く。

おもしろき こともなき世を おもしろく [ちょっとまじめな話]

帰国して以来読書のペースが落ちてしまっているが、ここ最近読了した本の中で印象に残ったのが、司馬遼太郎の『世に棲む日日』。


世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)

世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)




全4巻のこの小説は、前半が主に吉田松陰について、後半はその弟子である高杉晋作が革命運動を実現していく様子が描かれている。
これまで長州といえば桂小五郎(木戸孝允)や村田蔵六(大村益次郎)のイメージであり、その長州藩が暴走するきっかけとなった吉田松陰とその門下生は何となく狂信徒的な思いがあり好きになれなかった。
でも、改めてのこ小説読んで特に高杉晋作の生き様には久々に震えるような感銘を受けた。

吉田松陰は、僕的には究極的にネオテニーなイデオロギストという理解をしている。
人間的には全体的には未成熟ながら、その他の部分の未成熟感を補って余りあるほどに純粋な思想、私から自分を隔離する公の概念を自身の中で確立させており、それが本人が言うところの「狂」なのだろう。
そんな松陰の熱病に冒された(言い方は悪いが)久坂玄瑞達を尻目に、高杉晋作はその思想の突出を革命運動というオペレーションに落とし込んでいく。
死ぬまで吉田松陰のことを師と仰ぎながらも、その攘夷思想を次元を超えて飛躍させて開国長州独立へと導くその行動家としての激烈さには、リーダシップのなんたるかを改めて考えさせられる。
奇兵隊を含めた革命勢力も、藩内の佐幕勢力も、そして幕府自体も自分たちの組織内の今年か考えていない中で、その全てをパラダイムシフトさせる革命運動を起こしながら「世界の中の長州国」を目指していくそのスケール感は、坂本竜馬と並んで目を見張るものがある。
どうして鎖国が続いた時勢の中で、限られた知識を元に辺境的な攘夷思想に陥ること無く、開国した後に列強に追いついて世界の中の日本という存在を打ち立てていくという発想にいたり、そしてそれを信じて命をかけた行動を起こせるのか。本当に信じがたい。

坂本竜馬からも高杉晋作からも感じるのは、「なぜ俺がこんな目に・・・」ではなく自然と「俺がやらねば誰がやる」という自発的な組織・社会に対する責任感の発露だ。
これはどの時代を取っても、そして現代の会社組織の中においても最も重要なリーダーとしてのマインドセットだと思う。

そんな高杉晋作が28歳の短い生涯を終える死の床で最後の力を振り絞って読んだ辞世の句が

おもしろき こともなき世を おもしろく

ここで筆を落とした高杉晋作に、望東尼が即座に繋いだ下の句が

すみなすものは 心なりけり

・・・これは、正直最悪。
高杉晋作の私を捨てた、公として世の中を導くそのリーダーシップと覚悟が、下の句によってたんなる彼一個人の小手先の気分、空気の読めない思い過ごしのような印象を与えている。

詩人でもあった高杉晋作はそれほど俳句はうまくなかったようだが、この辞世の句は上の句だけで完結しているのではないかと僕は思う。

おもしろき こともなき世を おもしろく

この一見ふざけたようなそれでいて彼の人生に重ね合わせたときに、壮大な発想力と行動力を浮かび上がらせる抗いがたいようなイメージは、後世のおもしろいことが少ない世の中で生きている一日本人としては自分の人生を見つめ直さなければという想いに駆られる。

和と洋と [ちょっとまじめな話]

この週末は帰国して初めて仕事無しでゆっくり過ごせたので、パリにいる間にお世話になった人達にメールで挨拶。
同じくパリから帰って来て日本で活躍されている方や、ワルシャワで働いている元パリの時の部署にいたインド人のインターン、パリ本社で同じく駐在員として働いていた今はシュトゥットガルトにいるドイツ人女性マネージャー(超美人)等々、たった一ヶ月半前ではあるがパリにいた当時を想い出しながらメールを書いた。
日本に帰ってきて以来中々忙しい日々を送っているが、仕事の対象は変わってきても仕事のやり方は変えずに・・・変わらずにすんでいる。
むしろパリにいた頃に大切だと思っていた事がなおさら強調されて感じる気分だ。
例えば、今の業務の延長で考えるのではなく、そもそもやるべき事はなんなのか、それをすることで半年後・1年後・3年後の有るべき姿はどうなのか、それに比べて現状はどうなのか、ではどうやってそのギャップを埋めていくのか・・・といった、"誰が聞いても当たり前で納得できる"ストーリーを紡ぎ出すこと。
この"誰が聞いても納得できる"という事はビジネスの原理原則といっても過言ではないと思う。
ともすれば複雑化した商品、社内ガバナンス、煩雑な事務手続などを言い訳にして、「分かっちゃいるけど」的な発想をしてしまい、しかもそれが部門の枠内でなされるがタメにどんどんセクショナリズムが進むと言うことはありがちなのだが、誰が聞いてもストンと腑に落ちないロジックというのはきっとどこかが間違っているに違いない。
もしくは一番大事なそもそも論のところを「上からやれと言われたので」として思考停止のまま放置されているケースもなきにしもあらずだが、これはプロじゃない。
プロである以上、例えそういう指示があったとしてもしっかりと論理的になぜやるのか、どうやるのかを考え抜く必要があるし、そのストーリーを語って初めて人を動かすことが出来ると思うわけだ。

と書いてみたが、方や改めて日本人の仕事の細かさ、完成度の高さというものの価値も凄く感じる。これは一朝一夕に他の国にはマネできない、絶対的なアドバンテージだと思う。

今の自分のレポートラインは直属の役員がアメリカ人、その上の副社長がドイツ人、そして社長のイギリス人という社内でももう珍しくなった(唯一?)外国人意志決定ラインとなっているのだが、100%外国人のレポートラインと100%日本人の実務部隊を繋ぐコミュニケーションハブとして、そしてそれぞれの戦略的思考を補完するストラテジストとして、可能な限り毎日、毎時間、毎分バリューを出せればと思う。
実際内外ともに発信しているように少しコミュニケーションを変えるだけでかなりのポテンシャルを秘めている営業ラインだし、少しずつ変わってきているのも感じるだけに、これからが楽しみで仕方ない。

さて、今週末の話に戻ると、今日日曜日は5歳のちび太と3歳のちび子の同時七五三参りに浅草神社に行ってきた。
二人とも初めての着物に大はしゃぎで大変だったが、神社の中でお祓いをしてもらうときは神妙な面持ちで神主さんに言われるとおり二拝二拍手一拝をする仕草など、可愛らしくて面白おかしくもあった。
二人ともかなり"和"な一日を過ごして、3歳のちび子ですらフランスには全く無かった和の作法に興味津々だったみたい。

家族全員、和と洋の良いところを学んで実践していきたいね。

日本の差別化要素 [ちょっとまじめな話]

日本に帰ってきて思うこと。それはやっぱり食べ物の美味しさとサービスの良さだ。

食べ物では、選択肢の多さとそれぞれの選択肢のクオリティの高さ、そして何より安さが凄い。
パリだとちょっとしたビストロで家族4人で食事しようものなら1万5千円くらいは軽くとんでいってしまうのだが、ここ日本ではその半分以下で十分満足できる。
そして選択肢も実に豊富・・・でもここ2週間、やっぱり連日食べてしまうのは麺類と和食だ。
特に麺類はそばうどんにラーメンと、フランスでの3年間の鬱憤を晴らすかのごとく食べまくりだ。

サービスの質では、レストランでも家電量販店でも本屋でもタクシーでも、時には過剰と思える程の気遣いがあり、「ああ、日本だなぁ」と実感することしきり。
ただ少し気になるのは、特に大型店で3年前よりも遙かに中国韓国系の店員が増えてきている事だ。
ある意味デリケートな話題になりかねないので誤解を生むような書き方はしたくないが、日本人の就職環境が急速に悪化する中で賃金の安さから日本人以外の雇用が急速に増えている現状は、日本人として考えさせられるものがある。

当然ボーダレスになってきている今の経済社会において純日本を保てるはずもないわけで、例えば先日10月5日に日銀が打ち出した追加金融緩和策で全く円高が止まらなかったことからも、既に一つの国の閉じた空間で経済が成り立っているのではなく、アメリカの追加金融緩和策の方向に左右されるグローバルで相対的なバランスの上に経済が成り立っていることを強く示している。

その一方で一日本人としては、日本ならではの強みであるサービスの質を顧客に届けるフロントラインから日本人が目に見えて減っているのは残念な気がするし、それ以上に新しい日本固有の差別化要素を見つけて伸ばしていかなければ世界の中で個性が埋没してしまうという危機感を感じる。

そのためにはやはり日本の中だけの視野狭窄に捕らわれずに、世界の中の日本、世界に向けてのメッセージ発信という視座の高さが求められる。
視野を広げて、視座は高く、視点を変えて。
これから仕事でチャレンジしていきたい事にも繋がるAttitudeですな。

Oriental or Occidental? [ちょっとまじめな話]

開催以来、ワールドカップ南アフリカ大会の試合を毎晩テレビで見ている。
有り難いことにフランスだとちょうどグループリーグの第三試合が夜8時半キックオフという絶妙な時間になるので、晩飯を食べた後ワインを飲みながらゆっくり見るのにちょうど良い。
正直個人的にはサッカーよりも断然野球派なのだが、やっぱり国を背負ったナショナルチーム同士の真剣勝負には興奮せざるを得ない。
まあだからこそ今回のフランスチームのようなことになるとサッカーに止まらずに国内問題化してしまう。

でもこうやって世界30カ国以上が一堂に会する世界的なイベントを見ていると、応援の仕方、サッカースタイル、チームワーク、個人のフィジカル、選手や監督とメディアのやり取り、試合後の報道の仕方と、とにかく十国十色といった様子がよく分かる。
職場でも常日頃文化の違いを目の当たりしてきたわけだが、ネットで面白いものを見つけたのでそれを使って洋の文化的な違いを思いつくままに書いてみたい。

ちなみに以下の絵はLiu Youngという中国生まれドイツ育ちの人が自分の感じたドイツ(青)と中国(赤)の文化の違いを表したアイコンらしい。
個人的には総合的に見ると日本人のメンタリティは中国よりもドイツに近いのではと思うのだが、どっちがどっちということよりもアイコンの対比が面白いので使わせてもらいます。

まずは、生活方式。
200802031746.jpg

これは、そのまま日本とフランスに置き換えられるかな。
プライベートでも仕事でも、日本人と比べてフランス人は圧倒的に個への依存が高い(あえて自立してるとか自主性があるとは言わない)。
これは欧米諸国一般に通ずるところがあると思うのだが、こちらでの「自己」は外向的に発信することで他人にその存在を気付かせるイメージなのに対し、日本人としての「自己」は他人が自分をどう見るかという視点を使って自分という人格の輪郭を投射するようなイメージだろうか。
Identityという英語とイコールな単語が日本語にないのは、それが一次的な観念ではないからなんじゃないだろうか。

次に、時間の感覚(正確さ)。
200802031747.jpg

これはフランスと日本だと完全に逆になるわな(笑)
3年前に今の職場に来たときはミーティングの開始時刻のいい加減さとそれ以前にその遂行率の低さ(5分前とかに余裕でOutlookの本文無しキャンセルメッセージが送られてくる)にストレスを感じてしまっていたが、今ではすっかり慣れてしまった。
でも、先日スイスとドイツの同僚と話していると、「期限を守る、ミーティングに遅れずに来るというのは時にミーティングそのものよりも重要なこと。」という点で意見が一致。
そういう規律が無意識の部分で効いているからこそ、ドイツもスイスも日本も車や時計ハイテク製品といった精緻な技術力を必要とする産業でアドバンテージを取って来れたんだろう。

そして、危機管理嗜好。
200802031751.jpg

正直これは文化的というより属人的な問題のような気がするな。
でも日本の現地法人にいる入社数年以内の若手社員と話をしてると、とにかくリスクを取りたくないという話を聞くことが多い。
毎日コツコツ同じことを続けていくことが将来へのステップに繋がる道とイコールでなくなった今のビジネス環境を感じると、現状に止まることが一番のリスクだという気持ちを持って欲しい。

次は2枚連続で食事関連を。まずは1日の3食。
200802031751-1.jpg

次に今トレンディな食事。
200802031752-3.jpg

これはまあ、ドイツと中国だったらそうなんだろうって感じやね。

最後に、順番待ちについて。
200802031748-2.jpg

これ、UKとドイツと東京は左だろうけど、フランスと関西は完璧右やわ(笑)

日本人はなぜ正解のない問題に弱いのか [ちょっとまじめな話]

このエントリーのタイトルは最近読んだ以下の本のサブタイトルだった。


グローバル・マインド 超一流の思考原理―日本人はなぜ正解のない問題に弱いのか

グローバル・マインド 超一流の思考原理―日本人はなぜ正解のない問題に弱いのか

  • 作者: 藤井 清孝
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2009/01/17
  • メディア: 単行本



この本、いわゆる「マッキンゼーに入社した後ハーバードでMBAを取得し世界的な企業での日本法人社長などを歴任した、とある日本人の視点から見るグローバリゼーションとはー」的な本で、実際そうなのだが、読み終えてみると表紙から受ける印象ような「俺様的成功術」とは一線を画した、実に海外で働いた経験のある人間であれば共感できる内容になっている。

著者が常にモチベーションを高く保ちつつ、日本市場や日本企業の後ろ盾を持たずに海外企業で孤軍奮闘していく中でクリアになった日本人がビジネスにおいて欠けているもの、優れている点に対する洞察力が、僕自身この2年半で感じ続けてきたことを「そうそう、まさにそういう事を言いたかったんだよな」と文章化してくれているような気がする(って、えらそうな)。

特にルイ・ヴィトン日本法人社長に就任してからの、日・米・欧のブランドのつくり方の違い、
アメリカ発ブランド=我慢できずに売り上げ至上主義に走る
ヨーロッパ発ブランド=顧客のニーズを聞かない商品開発で「ワクワク感」を創出
日本初ブランド=顧客ニーズ追従型ゆえにマージンが取れない
といった点や、国際競争の中でアメリカとアジアに取り残され「名古屋化」する日本(名古屋在住の人は気分悪いわな 笑)という視点、そして日本人の持つガバナンス変化へのアレルギーやレバレッジが効かず未来を語れない現場至上主義への呪縛・・・本来他の国に例を見ない"現場力"のある日本はそれを大いに強みに出来るはずなのに、その現場で起こっていることを端的に抽象化して戦略決定出来るような情報にした上で、それを役員に対してコミュニケーションしていくというスキルが欠けてるという筆者の指摘は非常によく分かる。

以前も書いたが、百年に一度と言われる金融危機でアメリカが現場力のなさを露呈してしまっている今は、ある意味日本がリーダーシップを発揮する千載一遇のチャンスとも言える。
にもかかわらず日本人は例えば国際的な会議などに出席すると、とにかく事前に確認を何重にも行って、とにかく本番で間違いを犯さないようにという、筆者が言うところのマイルドな強迫観念が先行して、会議の場で論理的に問題を定義して自分の意見をもって相手を説得していくという肝心の目的が消えてしまいがちだ。
これは自分自身2年半経った今でも日々苦悩している部分だが、まさにその通り。

これを克服して行くにはやはり最低限の英語力と、事象を抽象化して意志決定出来るレベルにまでストーリーラインに落とし込める論理的構成力を鍛えるしかないんだろう。
もちろんこれは職種や業種によっても大きく異なるだろうが、欧米の同僚と戦略部門で働いていると、断片的な情報から一つの方向性を見つけてそこに至るストーリーを練り上げていくパワーはすごい。
先に出たように日本人からすると「そんな断片的な情報でそこまで言えるのか?現場の経験無いのに」と言ってしまいがちなのだが、彼らからするとそこの役割分担は明確で、現場から来た断片的な情報をヴィジュアル化して目指すべきゴールの方向と距離、そして現状とのギャップを縮めていくためのアプローチ(=ストラテジー)を考え出し、その大枠での方向性に対して意志決定者からの合意を得た後に、今度はそのグローバルな方向性を再度現場に戻して具体的アクションプランへ落とし込んでいってもらう、というサイクルがしっかりしているのだ。

日本の場合はともすれば現場から上がってくるアイデアや現場経験の濃厚な本社部門の人間が十分に関連部門と"すりあわせ"ながら徐々にボトムアップで戦略を上程していくケースが多いと思うのだが、そうなると異なる部門間がお互いにチャレンジし合うというストレッチ効果は見出しづらく、「何となく達成可能な骨太方針2011」見たいな計画になりがちなのではないだろうか(もちろん会社のカルチャーによって全然違うわけだけど)。

とにかくがむしゃらに働いて各業界で先を行く欧米企業を目指すことが国全体の底上げに繋がった時代から、今は国も企業もひいては個人にもリーダーシップがこれまでにないほど必要になってきてると感じる。
その一方で、それが今の日本人にとっては何よりもチャレンジングなことは・・・情けないけど、我が国の首相を見てれば悲惨なほど分かるわなぁ。

Metaphysical idealism [ちょっとまじめな話]

パリの街はすっかり初夏の雰囲気で街路樹の緑も鮮やかだし日も長くなってカフェのテラス席での一時も気持ちが良いんだけど・・・なんと無く最近仕事のアルゴリズム的に底な感じ。

忙しいしやることは一杯あるんだが、なんかこう100%集中しきれないというか、言ってしまうと生産性がいまいち低い。
理由の一つとしてはグループ全体で数百人が来月のグローバルな年に1回の会議に向けて相当な数のプロジェクトを同時並行的に走らせており、方針としてボトムアップアプローチを過去数ヶ月間取ってきたためにここに来て整合性の取れた最終的な中長期目標を誰が如何にしてまとめるのかがあやふやになってしまった点が挙げられる。
僕自身も2つのプロジェクトを昨年末から本社内および延べ20カ国以上の国々と進めてきたのだが、ほぼ結論はまとめられつつあるものの最後の最後で全キーステークホルダーから合意を取るプロセスおよび提案する内容をどこまで深掘りするかといった点がいまいち不明瞭。
そうは言いながらも、これは何とかなる。

もう一つはこれまでのエントリーでも何度か触れてきた、次の赴任先に関する件が大詰めを迎えていること。
ビジネスおよびプライベートでの事情が自然と複雑に絡み合うので考え出すときりがないのだが、それと日々の業務とは別だと頭では思っていながらどうしても自然に色々考えてしまったりして集中力が途切れがち。
自分の信条としてはこれまで「迷ったときはより難しい道を選択する」という想いを持っていたのだが、今回は複数の選択肢があるようで実は突き詰めると一択というような状況なので果たして自分が覚悟を持って決める状況にあるのか、与えられた可能性を享受することになるのか、何というかそういう形而上学的かつ主観的な腑に落ちなさが根源にあって、そんな思いの一片を上司のフランス人に話をしたところ「お前にしては全くロジカルじゃないし正直何が言いたいのか分からん」と言われてしまった。
まあ問題の根源があまりに主観的なので言われて当然だが、逆に「ロジカルじゃない」と言われたことで、じゃあロジカルに考えるとどうなる?と自問自答できたことによって迷いが吹っ切れた気がする。
とは言っても交渉内容の中には僕の一存では決められない部分もあるので即決定というわけではないが、少なくとも来週以降にこのモヤモヤした感じを払拭することが出来ると思う。

Diversity [ちょっとまじめな話]

最近正直モチベーションのキープに悩んでいる。理由は主に2つ。
一つは、恐らく今年夏過ぎには次の赴任先へ行くために今の部署と仕事を離れることが確実なこと。
もう一つは、唯一の非フランス人仲間だったドイツ人女性の同僚が5月で辞めることになったため、約45人いる現在の部署の中で唯一の非フランス人になってしまうことだ。

一つ目に関しては、もちろん立つ鳥跡を濁さずと言うとおりだからこそ逆にキッチリ今担当しているプロジェクトを仕上げきらないとならないわけだが、人間正直言って終わりが分かっていると中々新たなチャレンジをする意欲がわかない。
フランスでの商習慣は日本と比べて属人的な部分が強いので、いくら僕が基礎を築いても次のプロジェクトマネージャーがその方向性を引き継いでくれるかというとそうではないケースの方が多いだろう。
最後までやりきる前に離れてしまってしっかりクロージングできないと分かっていると、プロジェクトの方向性を決めるための議論の中でも自然と覚悟が緩んでしまう。

二つ目については、パリに来た当初はむしろアウェーな環境になればなるほど燃える気持ちだったのだが、2年間どっぷりとフランス人の中での組織に浸かって2年前には見えなかった壁も具現化してきた。
ある意味それは2年間の実績によってより高いレベルでの仕事を与えてもらっているからなのかもしれないが、やはりフランスという個人的な繋がりが大切な国で重要な意志決定、つまりポリティカルな判断がより絡む場面に関われば関わるほど、ランチタイムやカフェタイムを利用してのアンオフィシャルな交渉事が重要になってくる。
そうすると自然周り全員がフランス人の環境だと、言語的なディスアドバンテージが立ちはだかってくる。
具体的に言うと、部門のミーティングの休憩時間に部屋の隅で2~3人のフランス人ディレクターが真剣にフランス語で議論をしている場面に割って入ってプロジェクトマネージャーとしての意見を失礼のない言い方で進言できるかどうかというようなことになる。
特にフランスを初めとした欧米の国は、自分が言葉を発することによって周りに気付いてもらうことによって初めて自分という人間を意識できるというメンタリティを持っている。
日本人の場合は、他人の思考や視線を通じて自分という存在を自己意識するメンタリティなので、沈黙は金なんて言うことわざもあるくらいなのだが、その日本人からすると時に滑稽なほど単純なことをオーバーリアクションで必死に伝えないと伝わらないことも多い。
一方で日本と同様かそれ以上に政治が重要な文化。これは結構ストレスがたまる。

なんだか愚痴っぽくなってしまったが、金融危機で金融業界全体が萎縮してしまっている今だからこそ、そして財務的にはグローバルな競争の中でうちのグループが優位性を確保できている今だからこそ、将来への人材投資としてもより多種多様な文化および人材交流をするべきだと思うのだ。

そんな中で来週月・火は半年に一度の10カ国以上の営業チャネルヘッドが集まるボードミーティング。
我々5人のチームにとっては最も大事な意志決定機関だ。
もしかするとグループ側の人間としての参加は最後になるかもしれないこのボードで国とポジションを越えた有意義な時間と議論を過ごしたい。

親として [ちょっとまじめな話]

今週のパリは1月上旬に戻ったのかと思うくらい寒かった。
週のうち半分は雪が降ったし、今日はぶっちゃけ股引をスーツの下に履いて出勤してしまうくらいの寒さだった。

そして今日は先週末から風邪(インフルエンザ?)をひいて40度以上の高熱が出ていたちび太がやっと回復して久々の幼稚園の日。
なのに朝からご飯の後にテレビ子供向け番組を見始めて全く幼稚園に行こうとせず、支度を始めるとあーだこーだグズったのでたまりかねて思わず手を出して無理矢理幼稚園まで連れて行ってしまった。
もちろん家を出た瞬間からちび太は「パパ、そんな怖い声で怒らないで!」と大泣き。
いったんグズり出したちび太はそうでもしないと放っておくと全く埒があかないので仕方なかった部分もあるが、幼稚園で別れた後に果たして本当に良かったのかとものすごく自問自答してしまった。

親としてもまだ自分自身に人間として未熟な部分を感じつつ、子供を如何にしっかりと導いていくか、これは初めての子供を持ってからというものこの4年半毎日葛藤し続けていることでもある。
ちび太もちび子もしっかりと育てていく責任を感じるし、かといって厳しすぎて本音を話せないような父親になるのも、友達感覚で接することの出来る軽い父親になるのもどちらも良いこととは思えない。
過去10万年以上も前から人類が誕生して以来全ての自分に繋がる先祖がすべからく経験しながら、時代背景が異なるが故に全ての人間にとって常に初体験になる子育て、これは本当に人生の難題ながらこれこそが自分が生きる意味だと痛感することも多い。

唯一親としてこうしたいと思うのは、いつかちび太やちび子が社会人になったとき、父親としての自分もまだ社会の中で成長途中にある姿を見せたいということ。
だからこそできれば早く子供を持ちたいと思ったし、これからもその時を迎えるためには特に仕事面でチャレンジし続けたいと思う。
まさにスティーブ・ジョブスの言う"Stay hungry, stay foolish"の想いを忘れずに、日々努力していきたい。
そんな中、ちょうど日本に仕事で一時帰国する3月上旬、その日程の合間を縫って社長以下日本の各役員との次のアサインメントに向けた人事面接が続々と設定されている。
この2年以上のパリでの経験を無駄にしないよう、是非とも有意義なものにしたいものだ。

2009年振り返り [ちょっとまじめな話]

パリにいるとちっとも年の瀬を感じないが、いよいよ2009年も今日で終わろうとしている。
振り返ってみれば、2008年がフランスに住み始めて仕事でもプライベートでもまず自分を異なった環境に適応させることに終始した一年だったのに対し、ある程度の勘所が分かってきてそれを実際の成果に結びつけることに注力したのが2009年だった。

1月末の自分のプロジェクトの初めての2日間のワークショップから始まり、2008年度は経験しなかったようなレベルのミーティングワークショップ等を何度か運営し、その度に新たな経験と至らない部分を感じてきた。

そんな中で自分自身成長できた部分、まだ足りない部分が今までよりも明確に理解できたことは収穫だったし、そのギャップを埋めるために次にどのような経験が必要かということも随分クリアになってきた。
来年2010年は契約上も区切りの年だし、そういった個人の想いとしてもさらなる変化を求めなければならない年になるだろう。
恐らく来年はパリ滞在の最後の年になると思われるが、その次が果たして日本に帰るのか別の国に行くのかは今の時点では全く分からない。
でも、昨今の金融危機の中でそういった複数の選択肢を持てることは幸せなことだと思うし、それに見合う成果を上げられるようにしっかりとした目的意識を持って次のステップを決めたいと思う。

最後に、今年も大勢の皆様にお世話になりましたが、改めてここで御礼を申し上げます。
来年も皆様にとって良い年でありますように。
そして、2010年もどうぞよろしくお願い致します。

日本人として [ちょっとまじめな話]

政治に関するエントリーは内容が内容なだけに誤解を生む恐れもあり、あまり書きたい物では無いのだが、将来振り返ってみて往事に対するその当時の想いとその後の経過がどうであったかを確認するという備忘録的な意味も含めてたまに書いている。
と堅苦しい書き出しをしたのだが、そんなことがどうでも良いくらいに最近の日本の政治の迷走(暴走?)がすごい。
国外から記事を通じて毎日ニュースを見ていると、テレビのニュースキャスターのコメントや番組構成の変なバイアスがかからないだけに(もちろんいかなる記事においてもバイアスは少なからずかかっていることに違いは無いが)、逆に問題の深さをリアルに感じたりする。

それにしても、ひどい。ひどすぎる、民主党。
鳩山の普天間問題に対するブレブレ(といっても本人はブレているという自覚すらなさそうだが)もすごい。
そもそも自民党政権下の約束であろうが、日本とアメリカの政府同士が合意した基地移転を白紙撤回することを選挙公約に掲げたという時点で人気取りの浅はかさを通り越した愚行だが、さらに組む必要が必ずしも無かった連立政権の中で国会的に超マイノリティーの社民党や国民新党に振り回されている時点で、誰がそんな政権を支持するのだろうか。
でも、元はというと日米合意がなされてから10年以上ほったらかしにしていた自民党に大半の非があるのは見誤ってはいけない点だ。
さらに呆れて物が言えないのが、母親からの政治資金献金問題。
そもそも60歳を超えたおっさんがママから月1500万円を超えるお小遣いを、しかも兄弟でもらってるって、何それ?
弟の方なんて「男としてけじめをつけて、贈与税を納税する」なんて言っているが、生前贈与を受けるだけ受けておいてバレたら納税するという方法がまかり通るのであれば誰も贈与税なんて払わないだろう。
来年の確定申告の時期に一体税務署はどんな対応をするのだろうか。
法律や税務は、法治国家においては「知らないことは罪」となってしまうと理解していたのだが、この辺りについては年末にパリに遊びに来る高校時代の友達の裁判官夫婦に色々話を聞いてみたい。

そして極めつけが、小沢の中国訪問。
600人を引き連れてこの時期に訪中という時点で理解不能だが、毎朝起き抜けにネットで日本のニュースをチェックしていて(パリの朝=日本の夕方なので)眠気が吹っ飛ぶくらい驚いたのが、小沢の中国での発言。
「(日本で)解放の戦いはまだ済んでいない」「私は人民解放軍で言えば野戦軍の司令官として頑張っている」といったそうだが、先進国の首脳が89年の天安門事件で民主化を望む学生デモを無差別に殺戮した中国人民解放軍に自国の政治状況をなぞらえて発言するなどと言うことは恐らく初めてだろう。
その後の韓国での来年国会での永住外国人地方参政権問題を確約する可能ような発言や、昨日の帰国してからの天皇陛下と中国国家副主席とのゴリ押し的な会見設定に対する記者会見の映像など、内閣の一員でもない幹事長の発言として異様としか言いようがない。
どう好意的に見ても国益を損なうために政治活動をしている、亡国政府にしか見えないのは僕だけだろうか?

約140年前に征韓論で西郷隆盛と大久保利通が激しくぶつかった際に、「戦争で国が滅んでも良いのか」と問う大久保に対して西郷は「人が死んで死んで、国を焼き尽くして、その中から生き残った者が新しい日本国をつくればいい」と言ったと言われるが、これは究極的な暴論ではあるもののその本当の趣旨は維新の成功により急速に過去の物となりつつある武士の精神文化を尊重し日本の将来に役立てようとするためのものであると思うし、また当時帝国主義を持って急速に台頭してきたロシアに朝鮮半島を取られたら終わりという危機意識から出た国防論でもあると理解できるので、単なる亡国論とは一線を画す物だったと思う。かといって戦争を肯定する訳ではないし(そもそも西郷は戦争のために訪韓するつもりは無かった)、もちろんその後の西南戦争の薩軍の戦略的粗暴さを見ると、征韓論を是としていた場合の国家的損失は計り知れなかったと思うけど。
そういう発想と比べると、同じ日本国民を厳しい状況に追い込むにしても、それによって将来的に日本が反動を持ってさらに発展するような未来像を描いた上でのことであるとはとても思えないし、その片鱗もない。

長々と書いたが、そんな個人的主観を超えて海外で実感するのは、この日本の現政権は他の国から見て完全に嘲笑されているという屈辱感だ。
子供手当はOECDが経済的に無意味という声明を発表し、フランスで伝えられるのはせいぜい日本の首相とその妻の奇人変人ぶりという程度。
経済のニュースではトヨタが赤字というくらいが関の山で、後は中国・インドの話題ばかり。
世界に誇るべき歴史と文化と経済を持つ日本人として、このままで良いわけがない。
これはナショナリズムという粋の物でも何でもなく、海外に長期間滞在した日本人であれば誰しもが恐らく感じるであろう日本のすばらしさと自発的に思うそれを大切にする心の問題だと思う。

そう思うと、やはり日本人は少しの期間であれ日本を出て暮らしてみるべきだ。
もちろん簡単なことではないが、そうする気概と努力をすることを考えてみることだ。
そして今度はその経験を持った僕らのような日本人は、どういう形であれその経験を如何に日本のために役立てるかを必死に考える責務を負っていると思う。
仕事以上に自分に何が出来るかということを考えさせられる毎日だが、まずはそうやって考えることが大事だと信じたいし、考え続けることできっと自分が日本に貢献できる道のヒントを見つけられると信じたい。

国際社会における日本のプレゼンス [ちょっとまじめな話]

最近、毎週楽しみにしているテレビ番組がある。
厳密に言うと、当然パリで日本のテレビ番組をオンタイムでは見れないので(Sonyのロケーションフリー等を設置していれば別だが)、YouTube上での録画ファイルの視聴を楽しみにしている。
それは、関西テレビのスーパーニュースANCHOR。
特に青山繁晴がスバリ!のコーナーは非常に興味深い。

正直偶然にこのニュース番組をYouTube上で発見するまでは、青山氏のことは何も知らなかったのだが、見始めると彼の情報収集力、洞察力、政治的ニュースの切り口は非常に勉強になる。
はっきり言って朝日新聞をはじめとしたマスコミが寒気を感じるほど異様に民主党に傾倒する中で、こういった番組を堂々と放映する関西テレビと青山氏の存在には感謝したい。

最近特に印象に残ったのはこの回。



この回の全体的な青山氏のコーナーも面白かったのだが、一番印象に残ったのは彼の1:13辺りからのコメント。
曰く、「海外に行ってる間は日本にいるときの自分とは違う。例え現在の政権が自分にとって一番同意できない政権であったとしても、現在の政権が正しいという姿勢で臨み、決して海外からの批判には同調しない。」とのこと。

約2年パリで働いてみて、如何にこのスタンスが重要で、そしてアウェーの環境の中でそのスタンスをとり続けることが難しいかを実感できるだけに、心に残る一言だった。

かといって自分の母国を常にOversellするわけではないが、変に媚びへつらうことなく日本人として日本のプレゼンスを毅然として表明することは重要だと思う。
もちろんそれは簡単ではないし、リスクも伴う。
例えば、ヨーロッパ各国が彼らの市場特性やビジネスモデルを元に合意している項目に対して、日本のマーケット特性を踏まえて異論を唱えることは時に非常にチャレンジングだ。
さらに、それを乗り越えて訴えた後にありがちな二次的リスクとしては、日本側から「正直日本でやっていることもそんなに誇れた物では無いので、他の国に付加価値のある情報を与えるほどではないから・・・」といった日和見主義的なコメントを日本からもらうことだ。
こうなると、完全に個人として板挟みとなるため、厳しい立場に立たされる。

だからといって常に楽な方に流されるがままにしていると、それは日本にとってと言うよりもインターナショナルな金融機関として最も大切にすべき多様性を殺してしまうことになると思うので、そこは譲れない。

その一方で、日本人である自分としては、必要以上の誇張も出来る限り避けたいし・・・。

日々悩みは尽きない。

モラトリアム法案 [ちょっとまじめな話]

鳩山政権が誕生してからの様々な動きは、いくら政権運営未経験と言ってもあり得ない物が多い。
あれほど批判していた赤字国債をたった1ヶ月のうちに発行したこともそうだが、何よりあり得ない・・・を通り越して真剣に寒気がするのが亀井静香のモラトリアム法案だ。

銀行を悪だと言い切る子供向け戦隊ものも真っ青の勧善懲悪を創り出そうとする視点も寒すぎる。
本人は清水の次郎長か大岡越前気取りなのかもしれないが、そもそもこの法案自体誰が望んでいるのかが全くわからない。

国の政策も会社のビジネスプランも個人の人生目標もそうだが、そもそも戦略というのは何のためにあるのか。
それは、将来において達成したい明確なゴールを定めた上で、そのゴールと現状にあるギャップを如何に埋めるかというのが戦略なのだ。
そしてその戦略の方向性を元に、取るべきアクションを具体的に決定していって初めて意味がある。
話がそれるが、海外で働くとこれが如何に日本人に文化的に欠如した視点かがよくわかる。
というのも、日本の伝統的価値観とは、常にコツコツと目の前にあることを確実にこなすことを是としてきたのだと思う。
そのため日常の中で改善していくことには慣れているが、突然「そもそも何年後にどうなっていたいのか、そのために何をするのか?」というアプローチをされると、「えーと、・・・とにかく一生懸命がんばります。」としか言えない。
そして放っておいても社会全体が前進した高度経済成長期ならまだしも、今の世の中で将来の明確な目標を立てずにコツコツがんばってもそれが前進に繋がっているかどうかは疑問だ。

閑話休題。
そう考えると、このモラトリアム法案、一体この法案で誰に何時どうなって欲しいのかがわからない。
本来であれば小泉政権時に痛みを伴って不良債権処理を進めたために、日本の金融機関のバランスシートは世界的に見ても健康的な状態を保てている。
これは郵政民営化(これも亀井静香のもと完全に逆戻りしようとしている訳だが)よりも大きな小泉政権の成果だと思う。
そして、サブプライム問題が確かに世界的な破綻を引き起こしたのは事実だが、これは決して全ての金融理論の破綻を意味しているわけではない。
簡単に言ってしまうとサブプライムの問題は年収200万の人に5000万の住宅ローンを無理矢理組ませて、右肩上がりの不動産相場のおかげで住宅の資産価値が上がるとすぐにその上昇分の差額を銀行が追加融資して、受け取った個人がそれを無計画に消費してしまうという子供でも破綻が目に見えていたスキームな訳だ。
もちろんその綻びがプロでもわからないほど証券化につぐ証券化で覆い隠されてしまったという問題点は大いにあるが、最も根源的な問題点は住宅ローンを審査するという、与信と受信という銀行業務の基本中の基本の破綻にある。

そう考えると、不良債権を処理し終わった日本の銀行はバブルの失敗経験を踏まえてこの部分を徹底的に強化してきたわけであり、銀行の本来業務のクオリティはむしろ他の国の指標となるレベルにあるはず。
貸し渋りや貸しはがしというのは世界的なBIS規制といった銀行のバランスシートの評価をどうするかという規制に対応するために起因するわけで、決して銀行が悪い奴らだからではない。
本来業務の与信・受信行為の質の高さを世界に向けて発信しつつ、金融危機後のグローバルな銀行のBIS規制などの議論を実態に合わせて誘導していくリーダーシップこそが今の日本に求められていることだと僕は思う。

それがどうして「今てえへんな中小企業から、無粋に返済をせまるんじゃねぇ。困った奴にゃあ3年くれえ猶予をやる、それが粋ってぇもんよ。」みたいな話になるんだ。

この法案はバブル後に必死になって打ち立てた銀行の本来業務の根幹を台無しにするし、そもそも3年間の猶予という新たなリスクを加味すると今貸せる中小企業にも貸せなくなってしまう。
中小企業を下請けとして発注してる企業もこの情報は下請け選定の条件に利用することを自然に考えるだろうし、制度を利用しても救済ではなく助かる見込みのない延命措置にしかならない。
そして今日発表された原案の最も危険な部分は、猶予期間中に企業が倒産するなどして生じた金融機関のリスクは政府が保障するという点だ。
いつから日本は社会主義・共産主義国家になってしまったのか。

恐らく連休明けの火曜日、金融株は外国投資家の辛辣な評価によって暴落して始まると思う。
それでももしゴリ押しするようなことがあれば、二度と金融の世界で日本は日の目を見ることがなくなるだろう。
金融業界に身を置くものとして、誰も望んでいなかった政党に適当に与えられたように見えるポストで国民目線とうそぶくど素人に全てを破壊されるのは見ていて忍びない。

Stay hungry, stay foolish [ちょっとまじめな話]

恐らく、世界で最も有名なCM。



改めてみてもメッセージ性があって、しかもその後のアップル社の歴史を知っているがこそ今見ても素晴らしいと感じさせられる1分だ。

野村克也の著書に何度も出てくる言葉に、「組織はリーダーの器を超えて大きくはなれない」というものがあるが、1984年のマッキントッシュ発表からのアップル社の実績を見ると、そして一時解雇された創始者のスティーブジョブスを呼び戻さざるを得なかったということを考えても理解できる。
解雇されて呼び戻される間に、トイ・ストーリーで世界初のCGアニメを作ったピクサーを創業したりといった彼の先進性も圧巻だけど。

そんなスティーブジョブスの最も有名だと言われるスピーチを初めて見た。
もし15分、今時間が取れるのであれば是非見てみて欲しい。





世の中、特にビジネスの世界にはいろんなタイプのリーダーシップがある。
組織のポジションを持って人を引っ張っていく組織型リーダー、情緒面にインパクトがありこの人のためならと皆がついて行くエモーショナル型、目的意識と論理性で物事を進めるロジカル型、等々。
そして、本人の仕事や人生に対するビジョンによって人に感動を与えていけるビジョン型。
このタイプの人間は、これまでのべ数千人にも登るだろう人たちと仕事で関わってきたが、本当に希有だと思う。
今思いつくのは2人。
僕が社会人人生で最も尊敬する上司だが、二人ともフランス人だ。
思うに、今のくらい話題の多い日本でこのタイプを見つけるのは、本当に難しいように思う。

スティーブジョブスはそう言う意味では、ビジョン型リーダーシップを最も体現する経営者の一人だと思う。
このたった15分間のスピーチからでも彼のビジョン、熱意が感動するほど伝わってくる。

でも、このスピーチや彼の新製品を初めて世に送り出す場でのプレゼンを聞いて改めて思うのは、やっぱり実業、もの作りに関われる仕事は良いなあということ。
金融業界でこういうスピーチが出来るに至る成功体験過程のイメージが、僕には出来ない。
恐らくサブプライムだって初めて住宅ローン債権証券化を成功させたアメリカのとある金融マンは、ある意味では世界を変えた発明をしたに違いないのだが、結果は言わずもがな。
金融とイノベーション、虚業とリアルの幸せ創造、果たしてこれは成り立つのかねぇ。

最後のStay hungry, stay foolishという言葉、そういえばこの間見た下記のDVDで感じたことにも共通するかも。





先日ミシュランガイドで三つ星を獲得した寿司屋、すきやばし次郎の店主の仕事への姿勢が垣間見える。
以前も名前は知っていた寿司屋だが、「銀座の雑居ビルにある店で、メニューはお任せ20貫、3万円のみ」というのを聞いて、「なんちゅー無茶苦茶な価格設定。どうせ何か政治的なコネで高評価を受けてだけでしょ」みたいに思っていたが、店主の人生、仕事への取り組みを見ると考え方が変わった。
今となっては、70年以上にわたってひたすら一つのことを極めようとして毎日の生活をそれに合わせ、今なおあと少し美味しく出来る方法があるんじゃないかと毎日悩み抜く探求心は、すごい。
寿司を握るのは手が命と、夏場でも毎日手袋をして通勤するなんて、普通に考えるとどうかしてる。
でも、そうやって一人の人間が70年以上にわたって人生をかけて極めた寿司を食べれるのであれば、3万円も高くはないかもしれない。
僕にとってはあり得ない価格帯だが、店主が健康で寿司を握っている間に是非無理してでも食べに行ってみたい。

でも、スティーブジョブスとこの小野二郎の仕事に対するモチベーションの持ち方、考え方の違いは面白い。
スティーブは上記の動画の中で、You've got to find what you love.(愛するべき仕事を見つけて下さい)と言っているのに対し、小野二郎氏は「やりたい仕事なんて見つかりませんよ。ただやらなければならないことを一生懸命やるだけですよ。」と言い切る。
お互い生い立ちは決して幸福な物では無いのだが、かたやジョブスは大学を中退して熱中できる物を発見し、かたや小野二郎氏は7歳の頃からやめさせられたら帰るところのない丁稚奉公で必死になって働いた末に現在がある。

二人とも、結局はStay hungry, stay foolishであるからこそたどり着いた境地なのだろう。

一方で僕と言えば、デファクトスタンダードな物が好きなので、Macは気になるけれどもこれまでWindows一筋。
この時点で、冒頭のCMで言う天才じゃないんだよな(涙)

強者ども?が夢の後・・・ [ちょっとまじめな話]

しかし、あそこまで民主党が勝つとは。
4年前の郵政選挙の際の小泉チルドレンと同じく小沢チルドレンが山のように誕生するわ、比例代表名簿が足りなくなるわ、大変だ。

そして一方で自民党。
Yahooニュースでは今日の閣僚懇談会の士気の低下や、閣僚の国際会議への欠席などが決まるなどの記事を目にする。
確かにここまでの大敗北を喫したショックは想像に難くないのだが、それでも今日現在日本の大事な政権運営を担っている以上は、こういう時でも国会議員や閣僚としての責任を完遂して欲しいと思う。
マニュフェストを見ても、きっと民主党はすぐに政権運営に行き詰まるので、自民党にも復活のチャンスはあるはずだ。
そのためにも、負けはしたがやるべき事はやり抜く気概を国民に見せておくことは重要なはず。
ましてや、"責任感" をスローガンに戦った政党なんだし。

しかし、個人的に憤りを感じるのは、どのマスコミの記事を見ても麻生太郎に対する労いの言葉一つないこと。
断っておくが別に僕は自民党支持者ではないし、あえて言うならば前回の記事で書いたような地方分権に戻す政策を支持したいと思っている。
とは言え、あそこまで叩きに叩いてつるし上げて起きながら、それでも経済対策を進めてきた自分たちのリーダーに対して労いの一声もかけてやれないのか。
自民党員の中ですら9月中旬の首相指名選挙に際して「麻生太郎に投票するのは死んでも嫌なので、まずは総裁交代を実現したい」なんてマスコミに漏らしている議員までいる。
そんな自分の損得や感情論でしか動けない人に、国会運営が務まるとも思わないし、努めて欲しいとも思わない。
もし自分が麻生太郎の立場なら、あそこまで孤立無援の環境でも毅然としていられるのだろうか。

どんな場面であれ、謙虚さや他人を慮る気持ちを持てる日本人でありたいものだ。

総選挙2009に思う [ちょっとまじめな話]

現在パリ時間8月30日(日)の13時45分で、フランスにいるといつもと変わらない週末なのだが、日本では歴史的な瞬間が訪れようとしている。
朝から気になってネットの選挙速報を見ているが、開票速報を見ると既に民主党が既に220議席ほど獲得して単独過半数どころか3分の2も超えようかという勢いだ。

今回僕自身はちょうど在外選挙の期間に日本に戻っていたこともあって、投票できなかったことが悔やまれるが、この選挙で今日を境に日本が大きく変わっていくことは決定的なようだ。
ただ、果たしてどれだけの人が消去法でなく民主党に投票したのか、その意志決定過程が十分に考えられたものだったのかという点についてはすごく疑問が残る。
そう言う意味では前回の郵政選挙での自民党の圧勝の時も同じ事が言えたのだろうが、ただ前回と今回で大きく意味合いが異なるのは、与野党が逆転するということだ。

よく国際化、グローバル化、世の中のスピードが云々と言われるが、今の世の中で現実とシステムが思いっきり隔離してしまっているものの一つが議会制民主主義を支える選挙制度だと思う。

特に、近年よく耳にするマニュフェストというのがどうにも理解できない。
今のマニュフェストはそもそも公約を達成できなかったときの罰則も何もなく、そもそもその結果をトラックする方法も無いため、極めていい加減・・・言ってしまうと言いっぱなしでOKな意味のない物になっている。
加えて、各党を横差しに出来るような同じフレームワークが無いため、それぞれの政党が理論的根拠が無い誰にでも聞こえの良い内容だけを盛り込んでしまっている。
それを他の国と比べても選挙に関心の低い・・・というよりも戦後の急激な生活水準の向上と社会の発達で政治に対する興味や感度が鈍化してしまった日本人に "お願い" という形で語りかけるしかなくなってしまっている。
そしてそもそもそのギャップを適切に分析して、政党と国民に明確な問題提起をしていくはずのマスコミが、低俗な視聴率争いに終始してレベルの低いあげ足とりばかりしている。
これを負の連鎖と言わずしてなんと言おうか。

一方で世界経済では100年に1度の経済危機が起きていて、日本の経験からみても今後10年間は金融業界に端を欲したダメージが製造業や国民生活に徐々に広がっていくのも確実だし、外交問題でも北朝鮮や中国の軍事的台頭をアメリカのプレゼンスの低下による日米安保の見直しを含めて考えるという、まさに差し迫った状況になっている。

国内問題も社会の高齢化や税制の見直しの必要性等が山積しており、極端に言ってしまえば政権交代で政治的空白を作っている暇はないのではないか。
この政治的空白が、民主党政権が確立した後に今までの自民党政治を遙かに凌駕する成果を出すためのものであれば価値はあるが、今の民主党の面々を見てもほとんどもと自民党党員であり、結局自民党同士の戦いのようなもんだ。
であれば、少なくとも今の自民党は問題はありながらも政権運営を続けてきたわけで、それをまた一から省庁との関係構築を含めて経験のない議員がやっていくのかと思うと・・・果たしてどこまで意味があるのだろうか。

さらに、民主党の掲げる政策には永住外国人への参政権付与などをはじめとして、日本の国益や国家の主権に大きく関わる物が多く、これも不安。
党大会で国旗を切り貼りして党旗を作ってしまう政党だからなあ・・・。

こう考えると、二大政党政治というのが果たして今の日本に即しているのかどうかに疑問を感じざるを得ない。
本来二大政党政治が進んでいたイギリスやアメリカにはその歴史的必要性、貴族階級と平民階級の争いや、保守派とリベラル派といった国を2分する勢力図があったわけだが、ほぼ単一民族で国民総中流の日本ではそういった背景はない。
日本の歴史を見ると、明治政府が出来るまで続いた藩による完全な地方分権が元になっており、そもそも近代国家が形作られてから国として軍事・外交・内政をやってきた経験すら少ない。
やってきたような気がするのは、第二次世界大戦以降アメリカの軍事力の傘に守られて、国内の経済だけに集中できてその結果そのアメリカも驚くような経済成長を達成できただけで、本当の意味で近代国家として独立した経験は無いわけだ。

とはいえこれまで日本が築き上げてきた物は素晴らしく、これを守り育てていくことが何より重要。
そのためには、政権交代をしてまで子供手当の実施といった大きな政府を目指すやり方ではなく、道州制をはじめとした地方分権に "戻す" 事の方が大事だと思う。
もちろん、だからといって橋下知事やそのまんま東を良いと思ってるわけじゃないけど。

地方分権に戻した後は、地方における意志決定は政治的な対立を軸に置くのではなく、その地方を如何に振興させていくかという論理的・発展的な思想に基づいて政治が行われるべきだ。
そのためには各地方に首長(道州長や知事レベルではなくても、市長レベルでも良いと思う)の元に色々な人材がプロジェクトチームとして発足して、内外的な視点を含めてその地域でのソリューションを考えていく、そういった仕組みが出来ればと是非思う。
話が長くなったが、社会人人生の最後の10年はそういった仕事をしたいと思うのだ。
今回京都に帰ったときは、生まれ育った街を車で走りながら、毎日そんなことを考えていたな。
実際にそういった仕事が出来るとなったときに、この町を自分ならどういう風に変えていきたいか、海外の行ったことのある都市との対比やそのプレゼンなんかを想像していた。
微力ながら、自分が所属する地域に対して少しでも得た物を通じて還元がしたいというのが、社会人としての最終目標かな。

そんな思いをよそに選挙速報に今目をやると、民主党はほぼ過半数を超えようかという所。
このモメンタムが、せめて日本にとってプラスになってくれればいいのだが。

カウントダウン [ちょっとまじめな話]

先週から昼飯を食う間もあまりない忙しい2週間だったが、いよいよ明日が終われば3週間の第二次バカンスに突入だ(突っ込みどころ満載ですが、何というかフランスでは極めて当たり前なことなので見逃して下さい)。

この2週間は9月に主催する2日間のワークショップに向けて各国にその趣旨やそれに向けた準備などについてテレプレゼンスミーティングを毎日何時間もこなす日々が続いた。
ヨーロッパ主要各国に、US、オーストラリア等の国々とひたすら話をしたわけだが、常にこちらは一人で向こうは複数でポジション的にも役員のすぐ下のポジションの人が多いので気を遣うこともあるわけだが、それでも1年ほど同じプロジェクトを共有していると何というか仲間意識が芽生えてきて、最近は彼らとミーティングするのがすごく楽しみ。
プロジェクトマネージャーとして至らない点もまだまだあるが、それでもスイスのメンバーから「君はプロジェクトリーダーとして一緒に働くには今まででベストだよ」なんて言われると、リップサービスとわかっていながらもすごくうれしい。

でも、一番気を遣って一番ミーティングを進めづらい国がある。
それは・・・日本なんだよなあ。
うまく日本語で言い表せないのだが、普段ひたすら英語で考えて英語でコミュニケーションしてきた内容と資料を日本語でやろうとすると、なんだかうまくいかないのだ。
しかも日本とのコミュニケーションは、常にObjective-driven(目的志向)ではなく、Context-driven(背景共有があった上での抽象的な会話とでもいうのだろうか)になってしまう。
常に日本との会話は、「まあ、言いたいこととプロジェクトの方向性はわかるんだけど、この経済環境下ではこれはできなしリソースはないし、そもそも日本のマーケットはご存じの通り特殊で・・・」みたいな展開になる。
「本音と建て前で言うと・・・」「総論賛成だけど、各論でいうと・・・」「そうやって外人みたいに表面的な事ばっかり言ってても始まらないよ・・・」、こんな話を何度聞かされたか。

もちろん現在の日本の経済環境が如何に厳しいかはよくわかるし、具体的に抱えてる課題も理解しているつもりだ。
でも、日本だけがそんなネガティブな状況にあるわけではないし、そんな中でも如何に顧客のニーズを理解してそれに応えて行くかを考えなければならない。
そもそも、そんなマイナス思考で暗い話をしていては、どうやって部下営業組織のモチベーションを高められるというのだろう。
ビジネスを成功に導く基本理念の一つとして、 "戦略×スキル×モチベーション" というフレームワークをあげれるのではないかと思う。
これらは決して足し算ではなく、かけ算だと思うのだ。
つまり、どんな戦略があっても、どんなスキルを持っていても、モチベーションがゼロであれば計算結果はゼロだと思うのだ。
この点が日本の、特にミドル層に決定的に欠如していると思う。
さらに踏み込んでいうと、個人的には経営リテラシーとWillの欠如という2点に集約できると感じている。

でも、確かに今の日本のミドル層は、本来マネジメントになるためにストレッチされた環境で成功体験を積んでいくべき30代を、バブル崩壊後の後ろ向きな後始末に全て費やしてしまったというかわいそうな時代背景があるのも事実。
でも、そんなテンションの低いミドル層に人材育成を任せられた新卒や若手社員はもっと悲惨だ。

既に話を始めているが、日本に帰れば・・・もしくは他の国に行けば必然的に自分のチームを持つことになるので、如何にチームメンバーのモチベーションを高めて、かつ戦略意識を高めるための伝道師になれるか、本当に責任感を感じるし、そしてまた早くそういう状況に身を置いてみたい。

そのためには今の環境でまず成果を出し続けないといけないんだけどね。

Envoi d'argent [ちょっとまじめな話]

2週間後に京都に帰るのを控え、パリに来て初めてユーロ建てのフランスの給与振込先銀行口座から日本の銀行へ送金手続きをしてみた(まだ完了してないけど)。
バカンスでパーッと使うため!・・・だったら良いんだけど、支払いがたまってるからなぁ、色々と。

やり方はと言うと、これまたアナログで必要事項を紙に書いて銀行宛郵送するというもの。
というのも、海外への送金はマネロン対応などの規制が厳しく、何でもOKと言うわけにはいかないからだ。
この点、日本の銀行業界はかなり遅れていると言わざるを得ない。
金融庁も金融庁で、金商法や個人情報保護法等のビジネスの阻害要因になるような悪法を連発している割に、本来対応するべき海外との送金のやりとりや国内間での送金のやり取りについてはかなりチェックが甘い。
フランスでは送金が一定の額を超えるとかなり積極的に検査が入るらしい。
まあ、口座のある銀行の銀行員から聞いた話で、実際にそんな検査が入るような額の送金をする元手なんて持ってないけど・・・。

日本でも、本来なら夫婦の間でも夫の給与振込先口座から妻名義の貯蓄口座に送金するなどといった場合、夫婦間贈与の問題が生じるはずなんだけど、そんなの誰も気にしないしチェックもない。
家を買う時にも、購入者に対して抜き打ちで税務署が頭金の出所などをヒアリングに来ることがあるらしいが、ほとんどの場合口頭確認で終わりらしい(うちの場合は来なかったので不明だが)。

一つの理由としては、日本は結婚=財産共有という暗黙の社会認識が成立しているからかもしれない。
まあ、少し前の時代までは結婚=全ての財産は一家の主へ、だったのかもしれないが。
これを再認識されたのが、フランスで口座を開いたりするときや確定申告するときに聞かれる、「結婚契約の形態を教えて下さい」という質問。
ちなみにフランスはサラリーマンであっても確定申告を自分でする必要あり。

確か、その質問には3つの選択肢があったように思う。
財産分割型、財産共有型、内縁関係(さすがフランス)といったもの。
そんなことを考えたこともなかったので、かなり迷ってしまった。
余談だが、フランス特有の選択項目として、自動車保険加入時の申込書の項目がある。
駐車場はどこですか?というものなのだが、屋内、屋外、そして主に路駐という選択肢があるのだ。
車庫証明が車購入の必須事項である日本との違いがすごい。

こんな日々の手続きにもその国の社会観が顕れるんですな。

原理原則 [ちょっとまじめな話]

入社以来営業、営業本部、マーケティングといったいわゆるオペレーショナルな業務を離れ、よく言えば戦略的、悪く言えば机上の理論に基づいて働くようになって早1年半が過ぎた。
この1年半は、出来て2年もしない部署で新たなプロジェクトを立ち上げて、その論理的根拠と目的意識を元に主要各国の任意参加を募って、多種多様なマーケット環境、ビジネスモデル、商慣習を踏まえながら抽象的コンセプトを具体化していくという作業に明け暮れた期間だった。
最初は何をどうして良いかもさっぱりわからなかったが、そういうサイクルを2回、3回と回していくうちに、だんだん物事の原理原則の見つけ方のかけらのような物がわかってきたように思う。

具体的には、各国との様々なミーティングの中で、これまでは色々各国独自のマーケット環境、規制や既に実施している戦略との問題点を元に「~だから今回の本社のプロジェクトの実現は難しい」と正面から言われてしまうと、ただ単に「たしかにそれはそうだよな・・・」と考え込んでそのまま会議が終わってしまうという事も多かったが、最近は「では、このプロジェクトで実現する・しないは別として、そもそもの出発点である顧客のこの部分に対する期待にどのように対応していくつもりですか?」といったような切り返しも出来るようになってきた。

現在置かれている環境が特殊だからと言って、本来なすべき事を二の次にしていい言い訳にはならないわけで、すぐ目の前の問題を持って「できないできない」と言うのではなく、そもそもの目的は何なのか、それを達成するために今最大限出来ることは何なのかという議論をしなければ前進的な方向性は生まれない。
こうやって書けば当たり前のようにしか聞こえないが、同じような経験をしている人なら共有できると思うけど、これが結構難しい。
特に日本人同士だとありがちな「そんなことお前に言われんでもわかっとるわ!」というような反応を生まないような言い方にも気を配らなければならない。

そんな視点を持って世の中のニュースを見ていると、原理原則が立ち消えになっているような話が多い気がしてならない。

例えば税金。
消費税を上げるか下げるか、世界的に見てかなり高止まりしている法人税の実効税率をどうするか、相続税をどうしていくのか、どうしても個別税制の中身の議論になりがちだが、問題はもっとシンプルな気がする。
つまり、社会保障費全体でいくら必要で、その財源を個人所得と法人所得からどういうルールで取るのか。
そのマクロ的視点さえあれば後はストックとフローからどの程度ずつ取るのかという話であって、消費税を何%どうするか、所得税の控除をどうするかという細分化した議論は順序が逆だと思うのだ。
もちろん国家レベルのことなので事はそんなに簡単でないという意見も尤もだが、国家レベルの複雑なことだからこそ国民誰もが聞いて理解できるレベルまで昇華させなければ、誰も何もわからない。

次に、選挙。
各政党ともマニフェストだ、ネガティブキャンペーンだ、小選挙区対策だと躍起になっていおり、日本の、はっきり言ってクソのようなマスコミが偏向報道を繰り返しているようだが、そもそも選挙の目的は国のために一生懸命制作を立案して実行してくれる人を国民の中から選び出すことのはずだ。

その本来目的を鑑みると、テレビインターネットといったメディアが十分に発達して浮動票が極めて安易な方向に流れやすい今、遙か昔の社会環境に基づいた選挙制度が十分に効果を果たすとはとても思えない。
そもそも、昔の少しでもよりよい生活を求めた発展途上の時代と違い、今の日本は言うなればニートやフリーターですら生き延びることが難しくない社会であり、必然的に政治への本気の関心度は低い。
そういう層が「誰がなっても一緒だから、どうせだったら知ってる人でいいや」という発想で森田健作みたいなのに投票してしまうことはあまりに危険に思えてゾッとする。
また、各政党が政治的支持基盤の組織票をガッツリ抱えていることも本来趣旨からすると選挙制度の重大な問題点だろう。
そもそも公明党や今回衆院選に参戦してくる幸福実現党って、なんで政教分離について憲法違反にならないの?

また、比例代表区制や小選挙区制など、選び方は様々だが、どんな方法を採用しようとも、票のバラつき方によって不合理な現象が起こることがあり、完璧な選挙方法は存在しないことは、ノーベル経済学賞受賞の学者によって既に証明されている事実なのだ。

そう考えると、如何に真剣に国政のことを考え、またそのスキルがある人を選び出すかと考えると、例えば国民投票による結果と、客観的な第三者機関による候補者審査を組み合わせると言った方法や、国民投票についてもネット経由で構成に出来るような仕組みを作るといった事が必要なのではないだろうか。
小泉チルドレンが次期衆院選までの任期期間にほとんど誰も実績を上げれなかった比例代表区制の弊害や、タレント知事だけが連日取り上げられるような事態をどこかで是正しなければならないと思っている国民は多いはずなのに。

人生や世の中は色々と修辞されているが故にものすごく複雑なのだが、本来目的は極めてシンプルなんじゃないかと思う。
ケインズもアダムスミスも古代ギリシャの哲学者もカントもポパーも養老孟司ですら(?)、究極的なメッセージは「明日を今日よりよく生きるためにはどうしたいいだろうか」という気がしてならない。
もちろんそれを伝えるためには様々な外的因子や変動要素、現実的概念的、時代的思想的な要素を加味する必要があるため、内容やアプローチが時に理解できないほど複雑になってしまうわけだけど。

会社にも相当な負担をしてもらってまで海外で駐在員として働かせてもらっている以上、その恩返しとしてはそれ以上の貢献をしてく、率直に言えばマネジメント経験を通じて自分の経験を組織に伝えていくことが必要だと思うし、いざその立場になったら何を部下に伝えていくかを考えながら日々を過ごしていくべきだと思う。
そう言う意味で、常に本来目的を見失わない、どんな状況でも基本的な原理原則を捕まえられるような洞察力を少しでも磨いていきたい。

ギリシャでボケ~ッとしているように見えて(と言うか結果的にしてたけど)、結構そんなことを朝から晩まで真剣に考えてたりします。

迷走 [ちょっとまじめな話]

ひどい、あまりにひどい日本の政治事情。
パリからネットを通じてニュースを見ているが、ここに来てカオス極まれりといった印象だ。
政治家自身も悲しくなるほど「人物」がいないが、輪をかけてひどいのがマスコミの偏重報道。
全てのニュースが危険なほどバイアスがかかって報道されているような気がするのは僕だけだろうか。

今回の郵政問題にしても、任侠映画かと思うほど鳩山の「正義」という意味不明な大義名分に迎合するような向きがある気がするが、正直不良をヒーロー視しているようなドラマや映画と同じくらい不快感を感じるな。
確かに入札の経緯には大いに疑義を感じる部分はあるが、そうは言ってもこの手のデューデリはテレビで流せないような背景から理解しないとなかなか判断は難しいだろう。
例えばオリックスの入札額が、優良物件世田谷のスポーツクラブを外した後に何故かあがっているというのを繰り返し不正の原因という様に報道しているように思うが、場合によっては全然おかしいことではない。
時価50億!なんて記事も見たがこれこそフローとストックの概念を混同している実にトリッキーな言い方だ。
たとえ時価で50億あろうと、こういう場合はまずキャッシュフローで議論するべき。
時価で50億あるのに既にキャッシュフローに問題があれば、それこそその時価が固定資産税としてマイナスファクターにしかならないからだ。
そして今キャッシュフローがプラスでも、将来的な地域の発展、それに伴うジム利用者の増減、事務の機器の減価償却費、債権債務関係、抵当権の順序・・・価格に影響する要素はあまりにも大きく、素人の外野が極めて表面的な見方で「なんか変じゃない!?」と言えるほど簡単じゃない。
これはよく言われる「国の借金が増え続けています!」という報道においても言えることなのだが、これもフローとストックの概念を混同しているケースが非常に多い。
ほとんどの場合に話題にされているのは国債の累積発行額であり、これはその年の財政収支が黒字に転換しない限り増え続けるのは当たり前。
問題はフローの赤字がどこまで縮小して、どの時点で黒字転換していくのかという点にあるのだが、それを見るとここ数年で30兆円から8兆円程度にまで縮小されている事がわかる。
そう言う意味では、不良債権処理の前倒しは一定の効果があったといってもいいと思う。
ただ、この簡単な概念を伝えるのに「プライマリーバランスの回復」という議員がいてそれをマスコミが「意味不明な言葉を使って庶民感覚からかけ離れた○○議員!」というワイドショーネタにしかしないから、結局本質が雲散霧消してしまうだけなのだろう。

かんぽの宿に話を戻しても、もちろんその評価方法にも問題はあるのだろうが、そもそもは本来業務ではない事に素人流儀で官僚が必要以上に手を出した事が問題。
それを一度は民営化という手法で荒療治することを国民に信を問うたのだから、多少は清濁併せ飲むという事も必要経費だろう。
決して不正を正当化する訳ではないが、一度決めたことを政局にするために「正義」や「カン」という極めて情緒的な理由で、問題はそれがもっとも大衆受けすることだが、中途半端に差し戻すことが本当に日本にとっての国益に繋がるのかどうかと言うことだ。
世界的な未曾有の金融危機の中で国際的な序列が変わろうとしている時に、そしてGDPベースでついに中国に抜かれようとしている経済環境の中で、果たして世田谷のスポーツクラブに引きずられて政権交代・・・そしてきっと迷走というこれ以上の政治的空白期間を作ってしまえば、確実に日本は浮上できないレベルまで国として負け沈んでしまうと危機感を感じずにはいられない。

自民党の若手議員が麻生太郎に大政奉還を迫ったという記事を今日見たが、政治家でありながらここまで言葉の本質を理解しないまま使っている無責任さを見ると、正直腹が立つなあ。
偉そうに歴史講釈をする気は無いが、大政奉還の本意は外圧によって初めて幕藩体制だった日本が日本国という国家観を持ち、国として一つになるべく勤王派と佐幕派方法が最小限の被害で理念を共有できる唯一無二の奇策だったはず。
それは決して内向的なことばかりに意識がいっていて、お互いに低レベルな自爆を繰り返す政党間の綱引きの安易な解決策(=国民への責任転嫁)ではないはずだ。
国を憂いた悲壮なまでの幕末志士の純度の高い覚悟をつまらない政局の小競り合いの場に軽々しく引き合いに出すべきではない。

ただ、一番心配なのは、「なぜ?」という基本的な問いかけを無くして安易で主観的な報道を繰り返すマスコミ。
先日の国会での補正予算審議も、「そもそも本予算でどういう予算案がどういう戦略の元に組まれて、補正予算の目的は何なのかな?」と思って軽くネット検索してみても、出てくるのは予算審議に絡んだショーもない自民党と民主党の子供のけんかのような記事ばかり。

派遣村や障害者郵便問題や郵政人事や・・・その他諸々の”政局の種”が矮小な問題だとは言わないが、本来もっとも日本人として危機感を持たなきゃいけないのは小さくだけニュースになった日本の石油ショック以来の貿易赤字転落というものだと思うのだが・・・・(つづく?)

適材適所 [ちょっとまじめな話]

最近色々と適材適所を考えさせられることが多い。
例えば衆院選。世襲問題をどう扱うかという点で議論が多い。
でも、本質は世襲が問題ではなくて、2世・3世議員の中に問題のある議員が多いと言うこと。
じゃあたたき上げの初当選議員が全て資質を備えて言うかというと、小選挙区制と比例代表区制を組み合わせている現在の選挙制度の限界とも言うべきか、決して全員が必要と思われる資質を備えているわけではない。
どうしても世襲議員は地元の票を確保しやすいために、当選しやすくなっており、その結果として絶対数としてクエスチョンマークがつく人が多いのだろう。
一番の解決策は自他共に明確な政治家の人物評価ができればいいのだが、それをするためには明快なフレームワーク、能力評価手法、そのポジションで求められるスキルの見極め、マッチング、モニタリング・・・人物評価というのはそういった定型手法で公式化していくのは至難だろう。

リストラしかり、組織変更しかり、マネジメントしかり。
目的意識×スキル×モチベーションというのが何事にも大切だと思う。

先日幼稚園のお遊戯発表会の後の焼き鳥の出店出品で、すごく勉強になったことがある。
僕個人としては、当日急遽大雨になったのに当初のプラン通り準備ができるまで焼き鳥を売らない、いかにもガイドラインありきの型にはまったやり方に違和感を感じつつも、言われたとおり自分は一人子守役に徹しており、「もしこれがビジネスで自分が意志決定できるのであれば、違うやり方をするのに、そういう自分が子守に専念してるとは、適材適所とは難しいものだ。」と内心思っていた。
ところが後から聞いてみると、午後になって爆発的に売れたらしく、過去最高の売り上げを記録したとのこと。
こんなちょっとしたことをとっても、勉強させられる事が多いし、まだまだだなあと自分に対して思う。何事も本当、日々是勉強だ。

同じ話題に関連して最近とても嬉しく、そして自分自身ももっとがんばらなきゃというニュースが。
それは同業他社の同志?がゼロ選抜で管理職に抜擢されたというもの。
本人もそれに値する・・・どころかそれ以上の付加価値創造をしてきた僕にとっての社会人の先輩だが、それをきっちり評価している会社も素晴らしい。
会社は違っても、働いている国は違っても、人種が違っても、志を同じくしている同志が世界にいる。
これ以上の人生のスパイスはないと、つくづくそう思う。

Livin' On The Edge [ちょっとまじめな話]

最近やたら仕事がポリティカルな意志決定に巻き込まれてる気がする。
好意的に見ると、こういう事に巻き込まれるというのはある意味今やってることが他の人から見ても価値があるからであり、誰がどうイニシアチブを取るかというところで議論になるということは悪いことではないのかもしれない。
マイナス面を見ると、非営利団体であるグループ本社の本分は世界数十カ国で事業展開している現地法人サポートであり、本社の意向で各国の方針を右往左往させるなんて事は、仮にも顧客第一主義を掲げるマーケティング部門にとっては内部顧客第一主義ではないという自己矛盾を引き起こすことに他ならない。
僕自身は自分の今の仕事はある意味で戦略コンサル的な位置づけで考えているのだが、難しいのは、外部コンサルト違って、各国のビジネスをサポートする一方でグループとしての共通の戦略、考え方、ビジネスモデルを確立し広めていくという責務も負っているという点だ。

そうはいっても強烈なトップダウン権限があるわけでもないし、またフランス企業のカルチャーとしてそういうアメリカンスタイルを嫌うところもあるが故に、グループの意向を背負いつつ各国とコミュニケーションしていくというのがなかなか難しいのだ。
しかも、ビジネスプロセス、特に意志決定のプロセスというのは実に国によって様々で、そしてかつその国の現地法人の規模によっても違ってくる。
フランスのようにとにかく組織が複雑で入り組んでいて、中で働いている人ですら誰が何を決めれるのかわからない一方で、ガイドライン志向ではなく本来目的志向なため各人がそれぞれ何かしら自分で考えて物事を進めていく国もあれば、アメリカのようにわかりやすいシンプルなトップダウンでキーパーソンがハッキリしている国もあれば(もちろんその逆にそのキーパーソンをうまく巻き込むのが大変だったりする)、日本のようにしっかりとしたガイドラインや細かいマイルストーンがなければ物事が進まない国もある。
他のメンバーは皆フランス人なので、彼らのプロジェクトにおいては全ての国が「まあ、フランス人だから仕方ないか・・・。」的なレベルにおいて納得するケースが多いような気がする。
もちろん彼らの名誉のために言うが、本社のフランス人は全員フランス人のイメージとほど遠い位に仕事をするし、実際レベルはすごく高い。
そんな中で唯一の非フランス人プロジェクトマネージャー(また日本人というのが微妙?)だからなのかもしれないが、いろんな国から「○○(僕の名前)だったらわかってもらえると思うんだけど、そう直なところ・・・」的な意見をよくもらう。
ええ、もちろん無茶苦茶わかります・・・というか、まさにそう!!みたいな事が多い。
ただ、難しいのは、一方であまりそれを言い過ぎると、部門内で「日本人だからそう思うんだよ。」的なあしらわれ方をするのも目に見えている。
ここでもう一度部内のフランス人ディレクターの名誉のために言っておくが、彼らは別に非フランス人を差別するような意識から言っているわけではなく、むしろ一生懸命他の国のビジネス習慣を理解しようとしているのだが、パリにいてほぼフランス人の中だけで仕事をしていては豊かな想像力があったとしてもなかなか肌で感じるのは難しいというだけのことだと思う。

しかし現実として、ちょっとしたことなのだけれど簡単には共有できない意識の壁があるのも事実で、日々その板挟みになっているのも事実。

そしてある意味一番特異な商習慣を持っているのが日本であり、かつ日本自体が受け身の姿勢であるが故に、フランス人がベルギーやスイスと、アメリカ人がイギリスやオーストラリアの同僚と母国語で意識共有ができる中、常に孤独なのだ。
でも、そういう何というか、常にエッジに立っている様な孤独感は、結構好きっちゃあ好きなんやけど。

一番効果的なソリューションフランス語でガチンコの議論ができるようになることなんやけど・・・はぁ、何ともまだ遠い。

日本という国 [ちょっとまじめな話]

日付が変わって今日にでも北朝鮮が弾道ミサイルを発射するらしい。
国外にいて主にネットでの記事を見ていると、下手に映像や音声がないだけに緊迫感が漂う。
パリに住み始めてから、徐々に日本、その文化、国家観というものを意識する時間が増えてきた。
それは他文化に交わったが故に相対的に意識が高まったのか、離れてみて初めてわかる祖国の良さなのかわからないが、日本という国、そして日本時であるということがどういうことなのか、この1年4ヵ月それを常に考えている気がする。
そして日本にいるときよりも遙かに考えるようになったのが、日本国憲法というものがなんなのか、そしてやはりその中で必然的に一番議論を生む憲法9条についてだ。

今まで人生の中で、正直平和は当たり前で、第二次世界大戦を経て全ての国が以下に戦争が悲惨かを理解し、そして二度と起こさないために努力をしているのだと意識しないままにそう考えてきたように思う。
戦争とは宗教観の違いによる中東の紛争があるくらいで、先進国同志の衝突は起こらないのだと。
しかし最近、今の世界の平和はガラス細工のような危うい軍事的均衡の上にかろうじて成り立っているという気持ちが強くなってきた。
とはいってもそれは一触即発といった物理的な緊迫感ではないのだが、各国の外交政策の裏には軍事力の力関係が存在しているという意味での緊迫感だ。

今回の一連の動きにしても、こういうことはあまり詮索しない方がよいのかもしれないが、クリントン国務長官が訪日して野党である民主党の小沢一郎との会談を希望して、その後小沢が第七艦隊だけで十分という発言をした直後に西松検察に検察が入り、そして北朝鮮のミサイル発射通告。
そしてアメリカはもし発射した際には国連安保理決議案の提出をほのめかすも、常任理事国である中国は採否を明言せず(つまりは否決に回るということ)。
おそらく、そして望むらくは、北朝鮮のミサイルが単に日本を飛び越して太平洋に着するのだろうが、これまでの流れと今後の米中と日本の関係があまりに予定調和的に感じてしまうのは考え過ぎなのだろうか。

自分の国を自分で守る、それ以前に守るべき自分の国というのはいったい何なのか。
日本人の国家観が今まさに問われているのではないかと思う。
他の先進国より遅れて明治政府によって初めて近代国家というものを認識してから百年少し。
日清戦争、日露戦争による国家的滅亡の危機を必死にくぐり抜けた後に第二次世界大戦による悲惨な敗戦を経ながらも奇跡的な経済回復を成し遂げて来た日本という国に、今住んでいる自分達は何を考え、何をするべきなのか、そういったことが問われているような気がしてならない。

憲法改正の是非を巡っても、戦後60年未だに結論が出ないような状況なのだが、それでも母国を離れて様々な国の人と接するにつれ思うのは、日本には守るべき文化と尊重するべき歴史があると言うことだ。
今の日本人にもっとも求められているのは、客観的第三者的な態度を取りつつも、日本の素晴らしさを自己認識して、それを守るべき意識を持つことじゃないかと思う。
というとまるで改憲派のように聞こえるが、僕自身は9条を含めて護憲派。
日本が自分達だけでたどり着いた条文ではないが、それでも今の9条は今の日本人の精神と照らし合わせて堅持する価値のあるものだと思う。
ただ、もっと世界全体の中での一国家として、相対的な視点に立った日本国憲法のあり方について、この北朝鮮の問題を契機にいい加減真剣に議論するべきだと強く思う。

それはマスコミによる部分も大きい。
正直マスコミの民主党への傾倒については恐怖心すら感じるが、民主党の政策や最も大切な国防論ですら党内統一できていないような党に到底政権を任せていいとは思えない。
国のリーダーとは何なのか、果たすべき組織に対する責任感があるのは誰なのか、それを考えると問題はたくさんあるにしても麻生太郎はよくやってると思うのだが。

こういったことをBlogに書くべきかどうか、正直数ヶ月以上考えていたし、実際書いてみると自分の考えを文章化することが以下に難しいかを改めて痛感するが、こういうことを常に自問して身近な間柄でたまには真剣に話し合うと言うことはとても大事なことのような気がするのだが、どうだろうか。

1年4ヵ月という時間 [ちょっとまじめな話]

思えばパリ生活ももう1年4ヵ月が過ぎようとしている。
今ではすっかりパリでの毎日が日常になっているし、もちろんまだ言葉の壁は大きいけれどそれをストレスと感じることもなくなった。
住めば都、まさにそうかもね。

仕事面でも、来た頃のように単純に日々のミーティングや各国とのテレコンに必要以上のストレスを感じることがなくなってきた。
ある程度認知されてきたこともあり、むしろゲストとして呼ばれたり、各国からの表敬訪問者に対してグループとしての戦略をプレゼンしたりする機会が増え、そしてそれを楽しいと思えるようになってきた。
もちろんそうは言った(書いた)ものの、常に謙虚でいなければという気持ちは日々意識しているけど・・・ま、謙虚でいようという前になんだかんだ言って結局毎日を何とかこなしているだけというのもあるけど。

でも、最近になって急なプロジェクトにアサインされても右往左往することが少なくなってきたように思う。
調査系、戦略系、M&A、オペレーショナル支援系等プロジェクトの種類とそのアプローチは千差万別だが、ここ数年の経験のおかげで新しい話題に対しても基本的なアプローチに迷うことが少なくなってきた。
もちろん、アプローチはわかっているけど、どうやって?という悩みは多いけど。

それとともにここ最近、より一層感じてきているのは今の環境と経験の貴重さと、それを与えてくれた人や組織に対する感謝。
そして感謝を感じるが故に、それを恩返ししていくため、この経験の価値を最大化するためには、いつどこで何をするべきかを常に考えなければというのが最近の一番のプレッシャー、悩みかもしれない。
常に自分が所属する組織に対して、自発的な責任感を感じること・・・自分がやらなければ誰がやるという気持ち、そして謙虚さ、自身、覚悟。

日本人が国際的社会に貢献できる道は、そういう思考回路にあるように思うんだけど、どうだろう。

Prepare for someting not-unexpected [ちょっとまじめな話]

最近書きたいことはたくさんあるのだが、どうにもうまくまとまらない・・・というより、なんとなく書く気にならない。
ここ2週間ほどは仕事も少し落ち着いているのだが(といっても来週からまたひと山来るけど)、時間がないわけではないんだけど。

仕事といえば、これまでの仕事に加えていわゆるEmerging Markets(新興市場)に新しく進出した現地法人をマーケティング戦略・チャネル戦略としてサポートするという短期的な新規Projectに対応したりしている。
まずは東欧諸国を対象にして、過去10年の市場動向、チャネル占率の変遷が他の成熟市場を参考にしてどのようにとらえられるかというのを調べ始めているが、いやーまさかウクライナやスロバキアの戦略サポートをするなんて、思えば遠くへきたもんだ(?)

しかし金融危機といい、円高といい、その他もろもろといいこの数ヶ月の環境変化はすごい。
でも、よく同じく海外で金融業界で働いている戦友のような(社会人の大先輩なのだが、あえてここでは戦友と記載させてもらいます)方と言ってるのが、「百年に一度の激動期に間に合って良かった」ということ。
間に合うというのは、年齢的にもキャリア的にも将来に向かって何かをこれからやれるという意味だ。
それがプラスであれマイナスであれ、いずれにしても社会の構造が大きく変わる潮目というのはエキサイティングだし、たとえ失うものが大きかったとしてもなにもなく淡々としたキャリアを後から振り返って「普通だったな」と思うよりいくら意味がある人生かわからない。

しかも元来日本人は逆境に強い人種だと思う。
過去何度も国として滅亡する危機があったが、その中で何とかどの国の植民地にもならずにこれたのもその証の一つだと思う。
おそらく基本的にはディフェンシブ・・・と言うよりも、ストレス耐性が高いというか不条理な状況でむしろ使命感を感じる国民性があるのかもしれない。
武士道しかり、明治維新から第二次世界大戦を経て高度成長に至るその近代史しかり。

僕自身もその傾向があるのか、ある程度ストレスがかかっていた方がいい。
なので、なぜか自然と決して悲壮感からではなく、現実的なものとして将来の不測の事態をよく考えたりしている。
まあ、数日前にそのうちの一つが現実化したのだが、気持ち的にも十分に準備していたので驚きはない。
問題が全て解決するにはなかなか大変な道のりにはなるだろうが、まあ想定の範囲内の不測の事態なので、大丈夫だろう。

さて、そんな中来週月曜日は、この基本的に3年間のパリ駐在が終わった後にどうする?という話をディレクターと行う予定。
まだ2年目にさしかかったばかりで半分も過ぎていないのだが、これまでのキャリア、今の仕事を通じてどのように会社および個人のキャリアに貢献したいのか、そして将来どのようなキャリアを積んで何をしたいのか・・・そんなことを話し合うのだが、こういうのをまじめに話をして、会社としてチームとしての仕事上の成果と個人の自己実現を両方考えていくというのはなかなか日本ではうまくおこなわれないが故に、素直にいいことだと思う。

結構楽しみ。


前の30件 | - ちょっとまじめな話 ブログトップ
free counters

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。